2009年5月

第38回
言葉のフシギ


「言葉ってフシギ」

40年生きてきた。2歳から話し始めたとして、もう38年言葉を使っている。何事も10年続ければベテランと言われるから、これはもう大ベテランの域である。

それでも。今更ながら思うのだ。言葉ってなんて不思議なんだろう、と。それをあらためて教えられる出来事があった。

その日は子ども達の運動会だった。クラス替えのことなどで、その前から娘は登校を渋るようになっていた。前日も直前になって「行きたくない」と泣き出し、2時間だけ授業を受けて帰ってきた。

「今日はどうかな?」

心配する私をよそに「ビデオ持ってきてね」と出かけていった娘。

「あの様子なら平気だね」

くすくす笑いながら、その後だんなとグランドに応援に出かけた。

「かりん、いる?」「いや、いない」「ポニーテールの、赤いハチマキ。あのあたりにいるはずだよ」「いや、いない」

どんなに目をこらしても、5年1組の集団に娘の姿が見つからない。

「あのぉ、娘は?」

どうしようもなくて、先生に尋ねた。「あ、お母さん。先ほど泣き出して控え所にいます」。指さす方を見ると、娘がぽつんと座っている。体操座りのひざっこぞうに顔をうずめて。

「かりん」

駆け寄って寄り添うと、涙で砂が湿っているのがわかった。

「ねえ、かりん。あの雲の形、船に似てると思わない?」

「あの木に鳥がとまったよ。どこだかわかる?」

そんな問いかけに少しずつ顔を上げる娘。そのうち猫みたいに私にじゃれつき、涙が引っ込んで代わりに笑顔が戻ってきた。それでも友だちが来ると顔を伏せてしまう。

「ねえかりんちゃん、大丈夫?」「ねえ、大丈夫?」

みんなが心配して次々に声をかけてくれる。なのに下を向いたまま応えようとしない。

その時だ。ひとりの女の子が娘の前にしゃがんだ。そうして手を差し伸べこう言ったのである。

「行こう」

するとどうだろう。娘はぱっと顔を上げ、その手を握って鉄砲玉みたいに飛び出していったのだ。涙の跡が残るほっぺたで、だけど最高の顔をして。

「言葉ってフシギ」

弾むような背中を見送りながら、そう思わずにいられなかった。何十の「大丈夫?」より、たったひとつの「行こう」。それが娘を動かした。確実に娘の足を踏み出させた。

下向きの目線を上げさせる言葉。心配するより、前に向かわせる言葉。気持ちを分析するより、行動につなげる言葉。それが人を前に動かす。

「言葉ってフシギ」

私もその女の子に習い、誰かの背中を押せる言葉を発してゆきたい。