2009年9月

第42回
魔法使いのお兄さん


朝。眠っていた街が少しずつ息を吹き返す。
鳥がさえずり、新聞配達のバイクが走り、どこかの家からまな板の音がする。

7時10分。
さやから豆がはじけるように、小学生が家々を飛び出してくる。
あっちからもこっちからも。
道にあふれかえりそうなほどのその子ども達と、私も途中まで歩くのが日課となった。

ある時、向かいから自転車に乗った男性がやってきた。
子ども達がじゃまになっているのであろう、眉間にしわを寄せ「ちっ」舌打ちをした。
そこから嫌なムードの連鎖が始まった。
街頭指導の先生が険しい表情でげきを飛ばす。
「ほら!右に寄って歩く!!」。
子ども達に緊張が走る。

瞬間、ある光景を思い出した。
それはまだ、私が幼稚園の先生をしていた時だ。
ある時、魔法にかけられたような体験をしたことがあった。
それは音のない夢の中にいるような。映画のワンシーンを見るような。そんな不思議な体験だった。

その頃、よく子ども達を連れて散歩に出かけた。 
黄色い帽子をかぶって、ひよこみたいな子ども達。
男の子と女の子が2人ずつ手をつなぐ。
けれど「並んで歩くのよ」と言ったところで、効き目がない。

あっちにちょうちょがいれば追いかけ、こっちにたんぽぽが咲いていれば取りに行く。
それこそ通行人にとってはさぞかし通りにくかったことだろう。
ある日いつものように歩いていると、前から自転車に乗った学生さんがやってきた。

「自転車が来たからはじっこに寄ろうね」
そうは言ってもやはり、我が道を行く子ども達。

すると彼は広がった子ども達の前で、ふうわり自転車を止めた。
そして何とも言えない柔和な顔で、子ども達にほほえみかけたのである。
神様がいるとすればきっと、こんなふうに子どもをあたたかく包み込むに違いない。
そう思わずにはいられない、深く、慈愛に満ちたまなざしだった。

するとどうだろう。
今まで散らばっていた子ども達が、すっと列に戻り道を空けた。
いくら声を張り上げても聞かない子ども達が、である。
そうして自ら手をつなぎ、静かに歩き出したのだ。
その間もお兄さんはずっと、通り過ぎる子ども達ひとりひとりを優しく見守っていた。

皆が行きすぎるのを待って、お兄さんはまたペダルを踏み出した。
そうして、言葉にできない空気感を残して去っていった。

それは限りなく幸福な余韻だった。
かき混ぜた珈琲にクリームが巻き込まれるように、全てが一体に包まれる体験だった。

イライラをつのらせ、まわりに不快をまき散らして生きていくこともできる。
幸せな空気を残し、みんなを味方にして生きていくこともできる。

道は、選べるのだ。
あなたはどの道を行きますか?