2010年4月

第49回
先生の参観日


学芸会、発表会、お楽しみ会、今はどんな呼び方をしているのだろう。

私が幼稚園の先生をしている時のそれは、「お遊戯会」と銘打っていた。
子ども達が練習した遊戯を始め、劇や合奏を、ご父兄の前で披露するハレの日だ。

どの子も保育士が手作業で作った衣装に身をつつみ、意気揚々と、あるいは恥ずかしそうに舞台に上がる。そんな晴れ姿を見ようと、親御さんはもちろんのこと祖父母まで、あふれんばかりの人が訪れてくれた。

先生なりたて、私にとって初めて迎えたその日。
たくさんのご父兄に混じって、ひとまわり年齢の高いグループの姿があった。
何を隠そうそれは、私の「父兄」であった。
母と叔母、そして祖母が「先生1年生」の私を見に来たのだ。

「あらら、来てるよ」
「行くよ」とは聞いていたが、まさかホントに来るなんて。

ただでさえ下手なピアノが、緊張のあまりことさら突っかかる。
振り向くと小さなばあちゃんが、首と背中をいっぱいに伸ばしてこっちを見ている。

「はは」

なんだかおかしくて気が抜けた。
そしたら指運びも少し楽になった。
「ぶー」ブザーが鳴り、全ての幕が下りた。
無場夢中のまま終わった行事。

「早く帰ってやって。おばあちゃん達、アパートで待ってるんでしょ」
「はい、ありがとうございます!」

先輩先生の言葉に、掃除もそこそこに飛んで帰った。

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「ただいま!」
「おかえり〜」

そこにはすでに重箱に詰められたごちそうが並んでいた。

「早起きして、みんなで来たんだぁ。遠足みたいで楽しかったよ」

「あんなに小さかったあっこも、本当に先生になったんだなぁ。ばあちゃんなぁ、自分の目で確かめるまで信じられなかったよ」

「今朝、息子に笑われたんだぁ。園児の孫を見に行くばあちゃんはいても、先生になった孫を見に行くばあちゃんはいない、ってなぁ」 

たわいもないおしゃべりに、先生の顔から子どもの、そして孫の顔に戻っていく。
思い返すとそれは、あたたかな懐に抱かれるような、この上なく心地良く幸せな時間だった。

夫を戦争で亡くし、女手ひとつで娘四人を育て上げたばあちゃん。
冬になると、薪ストーブで栗を焼いて食べさせてくれたばあちゃん。
陽だまりのような穏やかな眼差しで、いつも静かに孫達を見守ってくれたばあちゃん。

亡くなるその日は、たくさんたくさん「ありがとう」を告げていたね。
消毒液のにおいが立ちこめる病室で。
苦しみと痛みの中でも泣き言ひとつ言わず。
訪れる一人ひとりの手を握り、ただただ「ありがとう」「ありがとう」と。

強くあること
優しくいること
そして感謝して生きること。

それをばあちゃん、あなたは全身で教えてくれた。
あなたの目に、背中に言葉に生き方に、それがにじみ出ていた。
私たちはその思いを、ずっと受け継ぎ繋いでいくよ。

だって私の中には、確かにばあちゃんの血が流れているから。