2014年3月

第96回
5ミリの合図


「おはようございましゅ」
「こんいちは」
今日も陽だまりサロンの扉が、かわいらしい声とともに開きます。
中には「ほら、ごあいさつは?」という促しに、もじもじする子もいます。
それを見ると思うのです、「小さい時の私だ」と。

子どもの頃の私は、まともにあいさつができませんでした。
なんだか恥ずかしい。
なんだか気後れする。
なんだか声が出ない。
そんな感じ。

母の和裁教室に付いて行くと、同じくらいの女の子がいました。
その子はとてもはきはきしていて、「こんにちは!」と誰にでも元気に言える子。
「えらいね~」とほめられるのを「すごいな、あの子は」と見つめていました。
そんな私も中学、高校と進むにつれて、言えるようになったのですけど(←遅い)。

娘や息子も学校に上がり、先生たちがあいさつ指導するのを目にするようになりました。
「もっと大きな声で」
「なあに? 聞こえませんよ」
ありがたいです。
ありがたいのですが、聞くたび、私の中の子どもの部分が「ちくん」と傷むのです。
私もそう言われて「ごめんなさい。言いたいの。でも言えないの」と思っていたから。

先日、本荘の保育園を訪ねた時のこと。
園長先生が、ホールに集まった保護者に話す場面に臨席しました。
それがまさしく「子どものあいさつについて」。
「この先生も『あいさつは大事です』っていうのかな」そう思って聞いていると…。
先生はこんなことをおっしゃいました。

「私たちは毎朝玄関で『おはよう』と子どもを迎えます。
元気に『おはよう』と返してくれる子もいれば、そうでない子もいます。
でも、いいんです。言えなくたっていいんです。
だって、あいさつはしなくても、合図はしてくれるもの。
目を見てにっこりしたり、手をぱちんと合せたりするもの。
それもあいさつでしょう? それを見逃さないのが、私たちの役目です」

あいさつはしなくても、合図はしてくれる。
そう、私も小さい頃、一生懸命先生に熱視線を送りました。
目が合うと、がんばって顔に力を入れ「にこっ」の口をしました。
それが幼い私なりの精いっぱい。

気づかない先生もいました。
けれどしっかりキャッチしてくれる先生もいました。
「おはよう、あきちゃん、今日もよくきたね」
そうやって迎えてくれる先生が大好きで、自分も幼稚園教諭を目指したのかもしれません。

声にならなくても
顔に出さなくても
ことばにならなくても
子どもは何かしら合図を送ってくれています。

大人として、人として、それを汲み取る心を持ちたい。

あの先生が、5ミリ上がった口の端っこを見逃さなかったように。