2016年11月

第128回
「話す」は「放す」

 
11月です。
1日はお寿司や紅茶の日で、11日はポッキーの日とか。
いろんなことを教えてもらう今日この頃です。
 
さて「話す」は「放す」とも教わりました。
人は知ったことや体験したことを話したくなります。
いい映画を見た後って、誰かに伝えたくなるでしょ?
こんなストーリーで、主人公がまさかの行動に出て、私はこう感じた。
それを全部聞いてほしい。
「それ以上言わないでっ」と止められると、まるで酸欠。金魚パクパク状態になります。
 
子どももそうです。
外で体験したことを、「ただいま」の後に話したくってたまりません。
 
鬼ごっこで5人もつかまえたこと、
席替えがあって残念な結果になったこと、
給食のプリンじゃんけんに負けたこと。
話さぬことには頭いっぱい、次のことに向かえません。
 
ある日の夕飯後。息子がめずらしく神妙な顔で話し始めました。
「今日さ、学校の道路のところに猫が死んでたんだよ。
 向かいの家の人の車にひかれたみたいでさ…。
 ひいた人、気づいてんだよ。
 家に車とめてから、出て来て見てたんだって。
なのにそのまま帰って行ったんだって…」
 
返す言葉が見つからず、ただ「うん、うん」と聞いていました。
 
「血がいっぱい出ててさ。道路にもついててさ。

 そしたらね、一緒にいたタクが自分のタオルかけて道路の脇に寄せてやったんだ」
「そっか」
「そのまま僕授業に行ったけど、明日雨って言うじゃん?しかも暴風雨」
「そうなんだ?」
「だから猫を埋めようと思って、休み時間にタクと行ったんだ」
「うん」
「そしたらそいつ、お母さん猫だったみたいで。
 子猫が2匹、タオルの上でにゃあにゃあ鳴いてた」
 
 それから5分ほど、募る思いに耳を傾けていました。
 そうしてひとしきり話し終わると、空を見つめてしばし沈黙。
 それからふっと上げた顔は、ずいぶん吹っ切れていました。
「んじゃ、風呂行ってくる」。
トントン。リズムよく階段を駆け下りていきました。
 
 聞いているといろんな思いが浮かんでは消えます。
 アドバイスしたくなります。
尋ねたいことだって、山ほど出てきます。
 シャベルはあったの? ひいた人はどんな人? 子猫はどうしたの? 
 
 けど、息子はただ聞いてほしかっただけかもしれません。
 ぐちゃぐちゃな思い言葉に乗せて、手渡したかったのかもしれません。
 なぜなら全部掃き出した後、あんな吹っ切れた顔になったから。
 
「話す」は「放す」。
 自分の考えなんて脇に寄せ
「いいこといってやらなきゃ」なんてかっこつけず
ただ「うんうん」と「聴いて」みませんか?
 
 秋の夜長
 子どもと、それからだんなさんとも、心の距離が縮まりますよ。